富山県トラックの名前の由来
社名に何故「富山県」と入っているのですか?と尋ねられることがしばしばある。
命名した亡父からは「わかりやすいから」としか聞かされていないので、そのようにお伝えしてきた。
もともと富山県トラックは昭和四十四年に、父が経営していた会社の製品の輸送に使えると、経営不振であった運送会社を銀行の紹介で買い取り事業をスタートした。それ以来現在の名称である。
この社名のため、トラック協会と勘違いされたり、富山県の関係の仕事をしている会社と思われたりもするが、全くの私企業である。
社長を務めて四半世紀、当初は少々違和感のあった名前にも、今は愛着を感じている。
そんな折、先日あるご縁で大学の先生から父の残した自伝を読ませて欲しいと依頼された。何でも、学生の卒論の題材に使いたいというのである。
勉強家の上、記録魔であった父は自分の人生や、先祖の事を克明に記録し、それを四冊の本にまとめている。
勿論快諾し進呈したが、その大学の先生と話をする中で、私の曾祖父に当たる人物が話題になった。
曾祖父の名を高桑安次郎という。何故「高桑」なのかと言えば、私の祖父は祖母と結婚する時、祖母方に養子縁組をされ「吉澤」を名乗ったのである。紙面に限りがあるのでその経緯は割愛するが、その高桑安次郎が明治三十五年に興した会社の名前を「富山県模範工場」という。
小学校で学んだ郷土の歴史の教科書にあったこの会社の社長が、曾祖父であったと父から聞かされており、父は祖父にあたる安次郎を大変尊敬していた。そして最近インターネットで検索をしていて、富山県模範工場は「富山県」という名称を冠してはいるが、実際は全くの私企業であることを知った。小学生の頃学んだ時には、私も富山県が設立に係わっていたと思い込んでいた。
そして、もしかすると父が社名に「富山県」を付けたのは、敬愛していた祖父の社名をお手本にしたのではないかと考えるに至った。
勿論この世に父は居ないので真相はわからないが、満更当たらずとも遠からずではとないかと思っている。父の自伝には安次郎の生涯が克明に記録されており、その思い入れが窺い知れる。
「富山県トラック」という社名に曾祖父からの思いが流れているとするならば、これを大切に守っていかなければならないと思うと同時に、
早合点と父は笑うかも知れないが、これから社名の由来を説明する時には曾祖父の事もお話ししようと思う。
吉澤 比佐志