創立50周年を迎えるにあたり
富山県トラックは来る6月に創立50周年を迎える。しかし、創立当時の写真などが全く残されていない。どのような経緯で富山県トラックという会社が出来たのかを物語るものは、亡くなった私の父の自叙伝以外には何も残っていない。
それによると、富山県トラック株式会社の歴史は、父が経営していた株式会社吉澤油化学研究所の輸送を担う企業にする為、当時経営困難に陥っていた中越急送株式会社という会社の再建に係わった事からスタートしている。昭和44年5月6日に「中越急送株式会社再建委員会」が結成され、再建案が議決されたものの、旧経営陣の社長がその再建案を不服として退社した為、5月15日に名称を「富山県トラック株式会社」に変更し、吉澤油化学の資材課長が責任者となり6月8日に事実上のスタートを切ったと自叙伝にはある。
そんな経緯も有ってか、船出を祝うとは程遠い状況だったのでは無いかと推察される。運輸業に精通しない素人集団による経営という事も有り、創業期には父の言葉を借りれば「戦慄を覚える程の凄まじい思い出」に満ちた大改革を断行したようである。そんな中で、苦しくても看板を汚さぬよう法令を守り、富山県トラックの信用の基礎が築かれて行った。それは今もしっかりと受け継がれているDNAとも言える。
実際私が入社した平成元年は創立20周年に当たっていたが、当時そのような意識が全くなかった理由は、前述の設立経緯にも有るように思う。今日まで、周年をお祝いしたのは10年前の40周年記念の社員旅行だけである。
しかし、紆余曲折は有ったが今は社員も100人近い大所帯になった。次の時代に向かっての決意を新たに、これまで支えてくれた方々や、今頑張っている社員と共に、盛大に50周年をお祝いしたいと思う。また、50周年を記念して、カンパニーソング(社歌)を作り、企業CMを制作したいと考えている。
当然の事だが、イメージで会社が良くなるわけではない。社員が働き易い会社となるよう、「3ヶ年経営計画」を柱に、若手中心で次の時代を創って行ってもらうように支えて行きたい。そして、富山県トラックがこれからもこの富山の地で、お客様に愛され、信頼されそして満足して頂ける「ブランド企業」になるべく、これからもたゆまぬ努力を続けて行きたいと思う。
吉澤 比佐志