ムダ取りとは

どこの企業でも、業務の「ムダ」を見つけそれを排除し、生産性を高める事に関心のないところはないと思う。実際県トラでも、JITの手法を用いての改善を継続的に行っているし、今年度は社内のシステムの刷新を行い、生産性を高めてきた。企業活動は常にムダ取りとの戦いであるが、ムダとは何かを意識することがまず第一歩であり、ムダと感じる感性が無ければ話は始まらない。JITで定義された「ムダ」には「造りすぎのムダ」「手待ちのムダ」「運搬のムダ」「加工そのもののムダ」「在庫のムダ」「動作のムダ」「不良を造るムダ」がある。業種によっては、関連しないものもあるが、これらのカテゴリーに合致するムダをあぶり出し取り除くことにより、「カイゼン」が実行され生産性が上がっていく。企業においてはやる気さえあれば、社内からの強い不信感や抵抗がない限り成果は上がる。しかし、政治の世界ではこれがなかなかうまくいかないようだ。誰が考えても、戦争は究極のムダであり、各国の防衛予算もムダである。これらの出費は税金によってなされるものであり、戦争や防衛が無くなれば、その分消費が拡大するわけだから、世の中は豊かになるだろう。こんな小学生でもわかりそうなことを、大人ができないのは何故か?そこには、想像を超えた人間の業や欲望が渦巻いているのだろうか?豊かな国では想像もできない程の貧困や、長年に亘る民族間の確執があるのかもしれない。いずれにしても、敵対することのムダの大きさは計り知れず、残念ながら拡大の方向にある。また、視点を身近なところに向ければ、今年日本中を騒がせた富山市議会の政務活動費の不正受給がある。

北陸新幹線の好印象を吹き飛ばすほどの不名誉な事であった。限られた給与や政務活動費で地方のために頑張っていると思っていた議員が遊興費捻出のために不正を働いたことを悪びれもせず語る姿を見て、我々が日々行っている「ムダ取り」がむなしく思えた。実際、不正受給発覚の発端となった、市議会議員の給与引き上げの理由が、議員定数の削減により議員一人当たりの業務負担が増えた為、と聞いた時には耳を疑いたくなった。我々が改善を行う際には常に「20%の生産性向上」を考えるからである。問題発覚を受け、市民感情を恐れ給与引き上げに白旗を上げる姿は、滑稽としか言いようがない。確かに、世の中にはムダが溢れている。人間の存在自体がムダなのだと言えばそうなのかも知れないが、ムダは人の考え方や心の在り方から生じていることは間違いなさそうだ。小さなことに腹を立てたり、心配したり、実体のない恐怖に怯えたりと、果実を生まない感情に支配されている。一年の終わりに心の中のムダ取りをしてみようかなと考えている、今日この頃である。

 

吉澤 比佐志

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