社長ブログ”千客万來”

青い目のご近所さん

 私の自宅の近くに、ロシア人の家族が暮らしている。朝のゴミ出しの時にご主人と会うと、どちらからともなく挨拶をするという関係だが、先日玄関の落ち葉を掃除していると、「すみません、失礼ですがバスケットボールのゴールは今使っていますか?もしも使っていなかったら、お金はお支払いしますので譲っていただけますか?」と流暢な日本語で問いかけてきた。聞くと地元の小学校に通う息子がバスケットボールのクラブチームに入ったので、練習させたいとの事だった。譲って欲しいと言われたゴールは娘がミニバスを始めた時に買ったもので、もう使っておらず少々くたびれており、お金を頂くような代物ではない。そこで、お譲りするので家までお持ちくださいと言ったところ、道をゴロゴロ引っ張り引き取って行かれた。普段は「おはようございます」や「こんにちは」以外の会話をしたことがないのだが、話すと人懐っこく笑顔の優しい人だということがわかった。そして何よりも礼儀正しいのに感心した。
 そんなことが有った数日後、家のインターホンが鳴った。モニターを見るとそのご近所さんと息子の姿が映っている。何事かと思って玄関のドアを開けると、「先日は有難うございました。」とお菓子の入った袋を差し出された。息子と一緒にお礼に来たのだと言う。息子は今日もゴールで練習して汗を流したそうで、彼もしっかりお礼を言ってくれた。
 譲ったゴールは決して綺麗なものではなく、お礼を頂くほどの価値など無い。しかしそれに対する感謝の気持ちを示してもらったことが何とも嬉しかった。日本人なら「有難うございます。」で終わったかもしれない。
 今後日本にはもっと多くの外国人が住むようになるだろう。それは避けられないと思う。そんな時、外見やイメージだけで判断することなく、お互いを理解し合う姿勢が大切なのだと感じた。そんな出来事だった。

吉澤比佐志

創立50周年を迎えるにあたり

 富山県トラックは来る6月に創立50周年を迎える。しかし、創立当時の写真などが全く残されていない。どのような経緯で富山県トラックという会社が出来たのかを物語るものは、亡くなった私の父の自叙伝以外には何も残っていない。


 それによると、富山県トラック株式会社の歴史は、父が経営していた株式会社吉澤油化学研究所の輸送を担う企業にする為、当時経営困難に陥っていた中越急送株式会社という会社の再建に係わった事からスタートしている。昭和44年5月6日に「中越急送株式会社再建委員会」が結成され、再建案が議決されたものの、旧経営陣の社長がその再建案を不服として退社した為、5月15日に名称を「富山県トラック株式会社」に変更し、吉澤油化学の資材課長が責任者となり6月8日に事実上のスタートを切ったと自叙伝にはある。


 そんな経緯も有ってか、船出を祝うとは程遠い状況だったのでは無いかと推察される。運輸業に精通しない素人集団による経営という事も有り、創業期には父の言葉を借りれば「戦慄を覚える程の凄まじい思い出」に満ちた大改革を断行したようである。そんな中で、苦しくても看板を汚さぬよう法令を守り、富山県トラックの信用の基礎が築かれて行った。それは今もしっかりと受け継がれているDNAとも言える。


 実際私が入社した平成元年は創立20周年に当たっていたが、当時そのような意識が全くなかった理由は、前述の設立経緯にも有るように思う。今日まで、周年をお祝いしたのは10年前の40周年記念の社員旅行だけである。


 しかし、紆余曲折は有ったが今は社員も100人近い大所帯になった。次の時代に向かっての決意を新たに、これまで支えてくれた方々や、今頑張っている社員と共に、盛大に50周年をお祝いしたいと思う。また、50周年を記念して、カンパニーソング(社歌)を作り、企業CMを制作したいと考えている。


 当然の事だが、イメージで会社が良くなるわけではない。社員が働き易い会社となるよう、「3ヶ年経営計画」を柱に、若手中心で次の時代を創って行ってもらうように支えて行きたい。そして、富山県トラックがこれからもこの富山の地で、お客様に愛され、信頼されそして満足して頂ける「ブランド企業」になるべく、これからもたゆまぬ努力を続けて行きたいと思う。



吉澤 比佐志

完成近づく富山駅

 北陸新幹線が開通して間もなく4年になる。時の経つのは本当に早いものだ。新幹線に関しては、何度かブログには書いたが、開通後の富山駅には多くの観光客が訪れるようになり、特に外国人観光客が目を引くようになった。富岩(ふがん)運河環水公園にある「世界一美しいスタバ」周辺は、外国語で溢れている。新幹線のもたらす集客効果は想像以上に大きかったと言える。

 さて、ここで再度取り上げたい事がある。それは、富山駅がまだ完成半ばだという事である。現在富山駅の北側に出るには、南口(正面)を出て地下通路を通らないと行けない。これに数分を要する。新幹線の開通時にはほとんどの利用者がこのことを知らず、計画のあまりの杜撰さに開いた口がふさがらなかった。当然観光客からも大変評判が悪かった。何故なら、大型の観光バスのターミナルが北口にあったからである。私事であるが拙宅も駅北にあり、出張から疲れて帰るたびに、あなぐらの様な通路を通る事が億劫だった。

 なぜこのような事になったかと言えば、新幹線と並行して走る旧JR北陸線、現在の「あいの風とやま鉄道」の高架化が遅れたからである。当初3年で完成と言っていたものが遅れている。

 しかし、その高架化が来月完成の運びとなる。今後、今年の4月には地下通路を通らずに、北側から新幹線の改札に直接通り抜けできる、幅5mの連絡通路が出来、10月には青年会議所の全国大会の開催に合わせ20mに拡張され、最終的には来年3月に25mで完成の運びとなる。同時に市電とライトレールの接続が行われるとのことである。尚、南北線呼ばれる駅西側を通る通り抜けの道路は、2021年の10月ごろの完成となるようだ。

 最近になって、漸くテレビでこの詳細が報道された。新幹線が完成する前からずっと疑問に思っていたが、完成が見えて来たのでやっと放送したのかと、ひねくれた気持にもなるが、利便性が高まる事は誠に有り難い。と同時に、富山の玄関口としての、富山駅の魅力をこれからどのように作っていくのかに、興味が移る。

 金沢の鼓門の前や、まだ開通に4年余りあるにも拘らず整備された福井駅の「恐竜広場」の前では、観光客が記念写真を撮っている。開通したにもかかわらず、駅前の工事をしていた富山駅の、おもてなしの心がこれから問われる事になる。とは言え、先日駅の目の前での大型ホテルの計画が発表され、重厚長大が得意な富山県らしい無骨な風情になりそうだと、秘かに思っているのは私だけではないかも知れない。

吉澤比佐志

冬来たり

12月を迎え、富山は冬型特有の、雨や雪の日々が始まった。富山に転勤で来ている人は、太平洋側とは対照的な鉛色の空を憂鬱な思いで眺めていると言う。ゴルフも春までお預けだ。その冬のイメージから、日本海側の都市は天気の悪い地域と思われている。

調べてみると、富山県の日照時間は年間1769時間で、47都道府県中の39位である。因みに最も多いのは埼玉県の2366時間で、最も少ないのは秋田県の1647時間である。沖縄県は意外に少なく1760時間で42位だ。富山県と埼玉県の差は597時間であり、約50日埼玉は晴れの日が多い計算になる。確かに埼玉の人が、富山は天気が悪いという印象を持っても仕方がないのかも知れない。それでは世界の都市はどうなのかと調べてみると、アメリカではニューヨークが2535時間と日本の1位の埼玉県より長く、ロスアンジェルスに至っては3254時間もあり、昼間の75%が晴れている。また、ハワイのホノルルが3042時間というのも納得である。一方パリは1630時間、ロンドンに至っては1460時間で両都市とも秋田県より短く、特に冬の間は曇り空が続くので有名である。ロンドンのひと冬を過ごしたことがあるが、雪はほとんど降らないものの晴れた日が少なく、雨がよく降っていたように記憶する。北陸育ちの私にとってほとんど違和感を持たずに過ごせた。冬に富山を訪れる人に「こちらは天気が悪いですね。」と言われると何だか申し訳なく思っていたが、気にするほど悪いようでは無いようだ。それに晴れた日の立山連峰はそれを帳消しにしてくれるほどの絶景であり、冬の降水量のおかげで富山湾にミネラルを豊富に含んだ伏流水が流れ込み、美味しい魚が育つ事を忘れてはならない。また、冬の厳しさのおかげで春の有難みを感じる事もできる。とは言え、仕事柄も含めて雪に翻弄される季節でもあり、備えは十分にしなければひどい目に合う。去年は大雪で交通網が乱れ、対応が大変だった。今年はどんな冬になるのだろうか?また、天気予報とにらめっこの日々が始まった。

 

最後に今年も富山県トラックをお引き立て頂き有難うございました。皆様どうか良い年をお迎えください。


吉澤 比佐志

今年の冬は

10月に入り、夏の猛暑の記憶が不確かになるほど涼しくなってきた。そんな中、運送業界を取り巻く環境は例年になく先行きの予測が難しくなっている。今年は7月に発生した西日本豪雨の影響でJRが不通になり、コンテナ輸送が寸断され、トラックによる輸送に頼らざるを得なくなった為、トラックの供給がタイトになった。弊社でもお客様の要請で九州方面の輸送に対応した為、車のやり繰りに影響が出た。しかし、これは鉄道の復旧を待てば、解消されると考えていた。しかし、輸送網が正常化された今、車の需要は一向に解消される気配が無い。通常は12月に入ってから急激に増える引き合いが今年は既に始まっており、連日新規の企業からの求車の問い合わせが続いている。取引先の荷主企業では、毎日10台以上の車が足らず、対応に困っていると聞く。大幅な運賃値上げを実行し、サーチャージを導入した企業が、である。これから一体どんな年末を迎えるのか、全く予断を許さない状況と言える。ただ、物流業者として言えるのは、車の供給力は今後増える要素が全くないという事だ。その根拠は、ドライバーは高齢化しており、若手の求職が極端に減っている事。働き方改革で、残業時間が制限され、運行回数を減らさなくてはいけない事などが挙げられる。加えて上昇が続く軽油価格、ドライバーの労働時間短縮のための有料道路の使用などにより、利益が圧迫されていること、ドライバー不足による業務拡大が容易でない事で、経営者は増車に対して消極的になっている。それでは今何ができるのか?それは、荷主と運送業者が、限られた車を如何に有効に運用するか共に考えるという事である。現状で輸送業者は荷主の要求通りの車種・納期を実現する事は難しい。また、車を供給できても、受注をギリギリまで延ばし、ドライバーを長時間拘束するような仕事は、働き方改革によって運送業者は対応できなくなる。受注・生産・出荷を平準化することにより、輸送量を平準化する事を荷主と輸送業者が真剣に話し合う事が避けられない。ここに来て、荷主サイドからもかなり理解が得られるようになってきている。12月になって一層の混乱が予想される今、即実行すべき課題である。

吉澤 比佐志